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福岡地方裁判所小倉支部 昭和45年(ワ)430号 判決 1973年1月26日

原告 株式会社山口相互銀行

右代表者代表取締役 山崎治郎

右訴訟代理人弁護士 辻正喜

被告 三島光産株式会社

右代表者代表取締役 三島恵三

右訴訟代理人弁護士 木下重範

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は「被告は原告に対し金一〇六万八〇三五円及び之に対する昭和四四年五月三〇日から支払済まで年六分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、その請求原因として、

一、原告は相互銀行業務を営むことを目的とする会社であるが、訴外債務者有限会社九興工業(以下九興工業と略称する)に対する強制執行として、福岡法務局所属公証人古川初男作成第一〇五五〇〇号金銭消費貸借契約公正証書の執行力ある正本に基き、九興工業が第三債務者たる被告会社から昭和四四年四月一日以降支払を受くべき、同年三月一日から同月三一日までの間における仮焼設備工事並に同月一六日から同月三一日までの間における厚板瓦斯切断及びその他の作業の請負工事代金の内金一〇六万八〇三五円につき、昭和四四年五月二六日福岡地方裁判所小倉支部昭和四四年(ル)第九七六号、同年(ヲ)第一〇一五号債権差押並に取立命令を受け、右差押取立命令は第三債務者の被告に対し同月二九日送達された。

二、然るに被告は原告に対し右差押に係る請負工事代金一〇六万八〇三五円の支払をしないので右金一〇六万八〇三五円及び之に対する差押取立命令送達の翌日の昭和四四年五月三〇日から支払済まで商法所定年六分の割合による遅延損害金の支払を求めるため本訴に及ぶ、

と陳述し、被告主張の抗弁事実を否認する、再抗弁として、仮に被告が九興工業に対しその主張の債権を有したとしても、該債権並に九興工業の被告に対する請負工事代金債権は当事者間で相殺禁止の特約が付されており、然らざれば信義則上相殺権の行使が許されない債権である、即ち、九興工業は被告会社に専属してその下請工事を業とするものであるが、原告銀行が昭和四三年七月下旬頃九興工業に融資を開始するに当り、被告会社は九興工業と共に原告に対しその融資方を懇請したのみならず、九興工業において、融資の担保として、被告から受領すべき請負工事代金の受領に関する一切の権限を原告に委任する一方被告は之に承諾を与えたものであって、被告の右承諾は単に代理受領を承認するに止まらず、代理受領によって得られるべき原告の利益を侵害しない趣旨を表明したものであって、右趣旨は被告らにおいて原告に対し請負工事代金につき相殺禁止を特約し或は被告の九興工業に対する債権をもって自動債権としない趣旨を含むものと解すべきであるから、被告の相殺権行使は許されないし、然らずとしても右融資の経緯に徴し被告の相殺権行使は信義則上許されないものというべく、更にまた被告の相殺が法律上可能であるとしても当時被告の自動債権は相殺適状になかったから、被告主張の相殺の抗弁は失当である、と陳述し(た。)≪証拠関係省略≫

被告訴訟代理人は主文同旨の判決を求め、答弁及び抗弁として、原告主張の請求原因事実中第一項は認めるが、被告は九興工業に対し昭和四四年三月三一日現在同月一日から同月三一日までの間の請負工事代金一六〇万九五九円の債務を負担していたが、右同日頃までの合計貸金一六八万五九二一円の債権と対等額にて相殺の意思表示をしたので被告の債務は消滅し、原告からの債権差押取立命令の送達を受けた昭和四四年五月二九日現在九興工業に支払うべき債務はなかったから原告の請求には応じられない、と述べ、原告主張の再抗弁事実を否認する、と述べ(た。)≪証拠関係省略≫

理由

原告主張の請求原因第一項の事実は当事者間に争いがない。

ところで被告は原告主張の請負工事代金債権は相殺により消滅した旨主張するのに対し原告は被告の相殺の効力を争うので考えるに、≪証拠省略≫を総合すると、九興工業は被告会社に専属して労務を提供し主に製罐、配管等の業務を行うことを目的として昭和四二年九月頃設立された会社であり、設立と同時に原告銀行と当座取引を開始したが、昭和四三年七月頃に至り資金調達のため原告銀行に対し融資の申込をしたところ、融資の担保提供について種々折衝が重ねられ、その間被告に対する請負工事代金債権の譲渡や県信用保証協会の保証等数案が検討されたこと、結局右融資の担保として、昭和四三年七月二九日、九興工業は原告銀行に対し代表者永松賢忠の個人保証の外九興工業が被告から受領すべき将来の請負工事代金につき代理受領の権限を委任し、被告は右代理受領を承諾したこと、爾来翌昭和四四年三月末日頃まで九興工業は原告から月々融資を受け乍ら被告会社に労務を提供して請負工事をなし、被告会社は請負工事代金を直接原告に支払い、原告銀行は債権回収状況に応じて九興工業に更に融資するという方式を繰り返したが、昭和四四年三月三一日に至り九興工業が不渡りを出して倒産するに及び、被告会社は昭和四三年一一月二五日頃から昭和四四年三月二五日頃までの間数回に亘り弁済期の定めなく九興工業に貸付けた合計金一六八万五九二一円の貸金等債権につき九興工業の昭和四四年三月一日から同月三一日までの請負工事代金一六〇万九五九円と昭和四四年四月四日(但し帳簿上は同年三月三一日付をもって)対等額で相殺する旨九興工業及び原告銀行に意思表示したこと、なお前記代理受領の証としては、委任状が作成されたが、同委任状には九興工業を委任者、原告銀行を受任者として、九興工業は被告から受領すべき請負工事代金につき委任期間を昭和四三年七月三一日から昭和四四年七月三一日と定め代理受領に関する一切の権限を原告に付与し、且つ本委任契約は特殊な契約であって当事者双方連署に非ざれば解約できず又委任者は二重に委任契約をなさず代金支払は受任者に対してのみなさるべき旨及び被告会社が右委任契約を承諾する旨の各記載並に公証人の確定日付が存すること、しかして巷間金融機関が企業融資をなし、融資の担保として請負人たる当該企業の注文者に対する請負工事代金につき代理受領権を取得するに当り、注文者が右代理受領を承諾し、その証たる書面(多くは委任状)を作成するについては、例えば奥書として注文者において請負人に対し債権を有するときは之を請負工事代金と相殺して支払う旨或は注文者が請負人に対抗できる一切の事由は融資者に対しても対抗しうることを条件に承諾する旨殊更に記載する場合と然らざる場合が存することが認められ、他に右認定を左右する証拠はない。

右認定の事実に基いて原告と九興工業間の代理受領の委任契約及び之に対する被告の承諾の性質を検討するに、当裁判所の見解は左のとおりである。

融資者、請負人及び注文者間の代理受領に関する契約は融資者の債権担保を目的とする三者間の無名契約であり、之により請負人は注文者に対し代金の請求ができず、注文者は融資者に対してだけ代金を支払う義務が生じ、且つ請負人は注文者に対し債務の免除、更改ないし融資者以外の第三者に代金債権の取立委任等当該債権を消滅変更せしむる一切の処分行為をなすべからざる義務を負担するに至るのであって、この点取立委任そのものとは若干趣きを異にし、債権譲渡ないし債権質権の設定に近似した効力を有するものであるが、その本質は取立委任に外ならず、該契約の右趣旨に反しない限り、注文者は請負人に対して有する一切の抗弁事由をもって融資者に対抗できるし、仮に請負人に対し支払を拒否できる事由があれば之を主張して融資者に対し支払を拒絶できる権利を留保して失わないものと解すべきである。けだし、債権譲渡ないし質権設定(或は債権差押)等と明らかに法律上の形式を異にする代理受領契約に債権譲渡等と全く同じ効力を認めることは契約締結の秩序を乱し、第三債務者たる注文者に対し不当に酷な負担を強いる結果となるおそれがあるからである。しかして右の理は、仮令注文者が代理受領を異議なく承諾しても同様であって、注文者の承諾は債権譲渡或は質権設定に対する承諾とは法律上の性質を異にする特殊な意思表示であり、注文者は代理受領を承諾しても尚且、融資者に対し、当該契約の前示趣旨に反しない限り、請負人に対する相殺、更改等請負工事代金債務を消滅変更せしむる一切の抗弁を失わないものというべきであり、更に亦、このことは注文者が代理受領の承諾に当り、例えば委任状の奥書等において、相殺等請負人に対する事由をもって融資者に対抗できる旨特約しなかったとしても変りはないのであり、右趣旨の特約は当然の事理の注意的約定にすぎず、その特約の不存在をもって注文者が融資者に対し相殺禁止を特約し或は請負人に対する抗弁権の放棄を特約したものと解するのは相当でない。

原告は再抗弁として相殺禁止の特約が存した旨、又は代理受領契約締結の経緯に徴し、被告の九興工業に対する債権は相殺の自動債権たりえないか被告の相殺権行使は信義則上許されない旨更にまた被告の自動債権は相殺当時相殺適状になかった旨縷々強調して被告の相殺の効力を争うのであるが、右主張に副う≪証拠省略≫は前掲各証拠と対比して邃かに措信できず、他に之を認むべき証拠はない。

してみれば九興工業の被告会社に対する請負工事代金一六〇万九五九円の債権は被告の相殺により昭和四四年四月四日限り消滅し、被告が債権差押取立命令の送達を受けた昭和四四年五月二九日現在第三債務者たる被告が原告に対し支払うべき請負工事代金は存在しなかったといわなければならず、この点の被告の抗弁は理由がある。

よって原告の本訴請求は失当として棄却すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 鍋山健)

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